津山城は、もと山城のあったこの鶴山(つやま、つるやま)の地に織田信長の小姓、森蘭丸の弟で築城の名手といわれた
初代津山藩主、森忠政によって1604年(慶長9年)から10数年の歳月をかけて築城された、平山城(ひらやまじろ)である。
明治になって廃城となり建物はすべて取り壊されたが、地上から45メートルに及ぶみごとな3層の石垣が当時の荘厳な威容を しのばせている。
この城の石垣構築の責任者は、信長の安土城なども手がけた近江(現滋賀県)の穴生村(あのうむら)出身の石工集団「穴生者」と伝えられている。
「扇の勾配」をなした壮大な石垣をはじめ、この城の石積みの美しさは全国に誇れるものである。
2005年(平成17年)には、備中櫓(びっちゅうやぐら)が復元された。
かつて津山城には、5層の天守閣をはじめ60棟以上の櫓や30棟を超える門などの建物があったが
その中でも最大の櫓がこの備中櫓であり、天守に次いで重要な櫓であった。
一帯は、国指定史跡 津山城跡『鶴山(かくざん)公園』として桜が植えられ『さくら名所百選』にも選ばれ
西日本有数の桜の名所として知られている。 石垣を背景にして満開の桜が立体的に咲き乱れる様は圧巻である。
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